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第5話 扉の外で愛を語る男

last update Tanggal publikasi: 2026-09-14 21:24:00

第5話 扉の外で愛を語る男

「恋、いるんだろう。やっと見つけたんだ。大事な話があるから、ここを開けてくれよ」

 水城拓斗の声が、玄関の外から建物内へ響いていた。

 白川恋は壁に設置された古い防犯モニターを見つめながら、右手を強く握り締めた。銀色の紋様が淡く光り、皮膚の下を冷たいものが流れていく。

 前世で最後の防寒着を奪われたとき、恋は拓斗に何度も助けを求めた。二人で生き延びたかっただけだと訴え、せめて開け放たれた扉を閉めてほしいと懇願したが、拓斗は恋を見捨てた。

 その男が今、恋の新居の前に立ち、自分こそ見捨てられた被害者であるかのような声を出している。

「白川さん、知り合いですか?」

 設計責任者の真壁が、地下室から戻りながら尋ねた。後ろには東都防災建設の設備担当者と調査員もいる。

「半年前に別れた元交際相手です。現在は連絡を取っていませんし、今日ここへ来ることも認めていません」

「それなら、私から帰るように言いましょうか。工事前とはいえ、この建物には関係者以外を入れないほうがよいでしょう。あの様子では、扉を開けた途端に押し入ってくるかもしれません」

「ありがとうございます。ただ、皆さんが対応すると、ここで何をしているのか余計に興味を持たせてしまいます。私から話しますので、調査を続けてください」

「分かりましたが、危険を感じたらすぐ警察を呼んでください。こういう相手は、第三者がいると知っただけで大人しくなることもありますから、我々が中にいることは隠さなくて構いません」

 真壁は恋の顔を見て、もう一度念を押した。恋が自分で対処できると言っても、心配を完全には拭えないらしい。

 その反応を見て、恋は前世の自分が、他人から差し伸べられたまともな助言をどれほど聞き流していたのかと思った。

 拓斗と付き合っていた頃にも、「あの男はおかしい」「金を貸してはいけない」「暴言を謝罪だけで許すな」と忠告してくれた友人はいた。けれど恋は、そのたびに拓斗にもよいところがあると庇い、自分たちの関係は外から見ただけでは分からないと反発した。

 本当は、友人たちの言うことが正しいと、恋自身も分かっていたのだ。間違った相手を愛したと認めることが怖くて、忠告を受け入れられなかっただけだった。

 恋は玄関へ近づいたものの、鍵を開けることはせず、防犯設備の通話ボタンを押した。

「拓斗、ここで何をしているの?」

 恋の声が外部スピーカーから流れた瞬間、拓斗は安心したような笑みを浮かべた。恋が応答した時点で、自分の勝ちだとでも思ったのだろう。

「何をしているって、恋に会いに来たんだよ。電話には出ないし、メッセージを送っても返事がない。そのうえ、急にマンションからいなくなっただろう。何か事件に巻き込まれたんじゃないかと思って、心配で捜し回っていたんだ」

「あなたとは半年前に別れているし、会う約束もしていないでしょう。心配だったという理由だけで、別れた相手の住所を調べて押しかけるのは普通ではないと思うけれど」

「そういう言い方をするなよ。俺たちは二年も付き合っていたんだぞ。別れたからといって、昨日まで知らない人間だったような扱いをするほうがおかしいだろう。俺は恋が困っているなら助けたいと思っただけだ」

 言葉だけを聞けば、恋を忘れられず、身を案じて駆けつけた男のようだった。けれど、拓斗の視線は防犯カメラではなく、敷地内に止まっている東都防災建設の車両や、玄関脇に置かれた測定機材へ向けられていた。

「マンションを売ったそうじゃないか。会社の転勤だとか聞いたけど、それなら、どうしてこんな大きな家を借りたんだよ。中で工事もしているみたいだけど、何を始めるつもりなんだ?」

 心配しているという話から、もう財産と建物の話へ移っている。

「ここは会社関係の資料と機材を一時的に保管するために借りた建物よ。私は管理を任されているだけで、自由に使える家ではないわ。工事の内容についても、社外の人には話せないの」

「会社の建物なら、どうして恋が住むんだよ。さっき不動産屋に聞いたら、おまえが個人で契約したと言っていたぞ」

 恋の胸に冷たい警戒心が走った。

「不動産会社に、私との関係をどう説明したの?」

「そんなことはどうでもいいだろう。俺が恋の知り合いだと言ったら、最初は個人情報だから話せないと言われたよ。だから婚約者だと説明して、連絡が取れなくなった恋を捜していると言ったんだ。向こうだって、おまえに何かあったら責任を問われると思ったんじゃないか」

「それで、住所を教えたの?」

「教えてくれなかったよ。あの会社の人間は融通が利かないんだ。恋がどこの物件を見ているのか聞いただけなのに、何度も帰れと言われた」

「それなら、どうやってここを見つけたの?」

 拓斗は答えに詰まり、気まずそうに視線を逸らした。その反応を見た瞬間、恋は、付き合っていた頃に拓斗から勧められた位置情報共有アプリを思い出した。

 拓斗は、互いの居場所が分かれば安心できると言って、恋のスマートフォンへアプリを入れた。別れたあと、恋は表示画面から共有を解除したつもりでいたが、予備端末との連携までは確認していない。

「位置情報を見たのね」

「人聞きの悪い言い方をするな。恋が自分で共有していた情報を確かめただけだろう。何度電話しても出ないんだから、事故に遭ったかもしれないと思うのは当然じゃないか」

「別れた相手の位置情報を半年間確認できる状態にしておくのが、あなたにとっては当然なの?」

「だから、別れた、別れたって何度も言うなよ。俺はもう一度やり直したいと思ってるんだ」

 拓斗は苛立ちを抑えるように額へ手を当て、大きく息を吐いた。それから防犯カメラへ顔を向けると、今度は傷ついた男を演じるような表情を作った。

「恋、俺が悪かったよ。付き合っていた頃は仕事もうまくいかなくて、何をしても思いどおりにならない苛立ちを、おまえにぶつけていた。金を借りたまま返さなかったことも、約束を破ったことも悪かったと思っている。別れてから、自分がどれだけおまえに甘えていたか、ようやく分かったんだ」

「そう」

「俺、本当に変わりたいんだよ。恋と別れたままでは、何をしても前へ進めない。いきなり前と同じ関係に戻れとは言わないから、まずは話し合う時間をくれないか。ここを開けて、顔を見ながら話そう」

「今日は業者の方が来ているから無理よ。契約や設備の確認も残っているし、個人的な話をしている時間はないわ」

「だったら俺も手伝うよ。こんな広い建物を恋一人で管理するのは大変だろう。掃除でも荷物運びでも、男手が必要なことはいくらでもある。俺は今、仕事の契約が切り替わる時期だから、しばらく時間にも余裕があるんだ」

 仕事の契約が切り替わる時期という表現に、恋は思わず笑いそうになった。

 拓斗は勤め先を無断欠勤し、すでに解雇されている。家賃も滞納しており、間もなく住む場所を失う。それを正直に話せば恋から拒絶されると分かっているため、時間に余裕があるなどと言い換えているのだ。

「手伝いは必要ないわ。業者へ正式に依頼しているから、あなたにしてもらうことは何もない」

「何もないって言うなよ。俺は恋の役に立ちたいと言ってるんだ。ここなら部屋も余っているんだろうし、しばらく俺が住んで建物を見てやってもいい。恋が転勤で留守にするなら、なおさら誰か信用できる人間が必要じゃないか」

 ついに本音が出た。

 拓斗が欲しいのは、恋と話し合う機会ではなく、住む場所だった。一度でも中へ入れれば、荷物を持ち込み、追い出そうとする恋へ「行く場所がない」と縋りつくつもりなのだろう。

 前世の恋は、それを受け入れた。家を失えば拓斗が困ると考え、再び生活が安定するまでという約束で部屋へ入れた。しかし拓斗は仕事を探さず、恋の金で酒や食事を楽しみ、末世が始まるまで出ていこうとしなかった。

 恋の腹の奥に、黒い怒りが湧き上がった。

 それでも、声には出さなかった。

 ここで完全に拒絶し、拓斗の自尊心を傷つければ、男は何をするか分からない。建物の周囲で騒ぎ、工事を妨害し、恋が何かを隠していると周囲へ言い触らす可能性がある。

 末世まで残り三十日を切っている。今優先すべきなのは、拓斗を言い負かして一時的な満足を得ることではなく、相手を遠ざけ、準備を完成させることだった。

「拓斗、あなたが反省していることは分かったわ。ただ、私は今、急な転勤と引っ越しで余裕がないの。会社からも、この建物へ関係者以外を入れないように言われているから、今日は開けられない」

「俺は関係者だろう。二年も付き合っていたんだぞ」

「あなたと今後どうするのかは、落ち着いてから考える。疲れている状態で話しても、お互いに感情的になるだけでしょう。私だって、あなたを嫌いだから電話に出なかったわけではなく、今は何を言えばよいのか分からなかったの」

 恋が少しだけ声を和らげると、拓斗の表情から露骨な苛立ちが薄れた。完全に拒絶されたわけではないと思い、都合よく解釈したらしい。

「それなら、どうして俺をブロックしたんだよ。連絡できなくなったから、わざわざここまで捜しに来るしかなかったんだぞ」

「何度も着信が続いたから、仕事に集中するため一時的に止めただけよ。今は業者の方も待たせているの。今日のところは帰ってくれない?」

「いつなら会えるんだ。落ち着いたらなんて曖昧な言い方をされても、俺だって納得できない」

「転勤の日程が決まり、工事の予定も整理できたら、こちらから連絡するわ。今ここで約束して、また急に変更するほうが失礼でしょう」

「本当に連絡するんだろうな?」

「少なくとも、玄関前で言い争いを続けるよりは、落ち着いて話せるようにするつもりよ。ただし、今日は帰って。業者の方に迷惑がかかっているし、これ以上騒ぐなら、私の意思とは関係なく警察へ連絡されるわ」

 建物内に第三者がいると改めて伝えると、拓斗はようやく周囲を気にした。工事会社の車両には会社名が大きく記され、道路からも見えている。

 警察沙汰になれば、借金や無断欠勤の問題まで調べられると思ったのかもしれない。

「分かったよ。今日は帰る。ただ、俺は本気でやり直したいと思ってるからな。恋も意地を張って、あとから後悔するようなことはするなよ」

「分かったわ。今日はもう帰って」

 拓斗はすぐには立ち去らず、玄関前から建物の窓や塀、裏手へ続く通路を眺め回した。防犯カメラの位置まで確認してから、ようやく門へ向かう。

 完全に姿が見えなくなるまで待ってから、恋は通話を切った。

「ずいぶん粘る相手ですね。本当に警察を呼ばなくてよかったんですか?」

 真壁が廊下の奥から戻り、心配そうに声をかけてきた。

「今は刺激しないほうがよいと判断しました。警察を呼んでも、元交際相手同士の話し合いだと言い張るでしょうし、注意だけで帰されれば、かえって逆上する可能性がありますから」

「白川さんが事情を分かったうえで対応しているなら、我々が口を挟むことではありません。ただ、あの男がまた来る前提で、玄関と門の監視設備を工事の最優先へ入れましょう。今のカメラでは死角が多すぎます」

「お願いします。映像と音声をすべて自動保存し、停電しても予備電源で動くようにしてください。門の外側だけではなく、塀の周囲と地下搬入口にも必要です」

「分かりました。侵入警報も、窓、扉、塀の上へ分けて設置します。ご希望の二十日より早く、監視と通報機能だけなら三日以内に稼働させましょう」

 真壁は恋へ余計な同情を向けることなく、必要な対策だけを提案した。その距離感がありがたかった。

 担当者たちが現地調査へ戻ると、恋は自分のスマートフォンを確認した。予想どおり、以前拓斗に勧められて入れた位置情報共有アプリが、予備端末と連携したままになっていた。

 画面上では共有を解除したつもりでも、古い端末からは恋の現在地を確認できる状態だったらしい。

「連絡先を消すだけでは不十分だった。あなたを甘く見ていたわ」

 恋は位置情報共有を完全に停止し、連携している端末とサービスを一つずつ確認した。共通で利用していた買い物アプリ、動画配信サービス、写真共有、電子決済、クラウド保存のパスワードもすべて変更する。

 拓斗からの連絡先を改めて削除し、電話、メッセージ、通話アプリ、写真共有サービス、すべてのSNSでブロックした。古い予備端末との連携を解除し、個人用の電話番号も新しく取得する手続きを進める。

 仕事関係の連絡は会社支給の端末に限定し、私生活の情報が外へ漏れる経路を一つずつ閉ざしていった。

 以前の恋なら、ここまで徹底すれば、拓斗が傷つくのではないかと考えただろう。別れた相手に対しても、嫌われないように振る舞い、悪者にならないための言葉を探したに違いない。

 けれど、今は違う。

「復讐はまだ始めない。あなたを怒らせて準備を邪魔されるくらいなら、今は期待を持たせたまま帰してあげる。でも、末世が始まったあとも、私が同じように優しくしてくれるとは思わないことね」

 前世で拓斗は、恋が何をされても最後には許すと信じていた。だから平然と嘘をつき、金を使い、物資を奪い、凍死しかけた恋を置き去りにできた。

 その思い込みは、今すぐ壊さなくてもよい。

 恋が以前と変わらず、自分を捨てられない女だと思わせておけば、拓斗は油断したまま世界の終わりを迎える。そのとき安全な部屋も、食料も、暖房も持たない男がどのような顔で助けを求めるのか、恋は最後まで見届けるつもりだった。

 工事担当者との打ち合わせを終えたあと、恋は新しく設置予定の監視設備へ引き継ぐため、現在の防犯カメラに残された映像を保存した。

 門の外へ出た拓斗は、しばらく道路脇に立ち止まっていた。先ほど恋へ見せていた傷ついた表情は消え、口元は苛立ちで歪んでいる。

 やがて拓斗は、建物の全体を確かめるように振り返った。

 その目にあるのは恋への愛情でも、過去を悔いる気持ちでもなかった。広い建物と、恋が不動産を売って手にした金を、どうすれば自分のものにできるのか考えている目だった。

 防犯カメラを睨むように見上げた拓斗は、誰にも聞こえない声で何かを呟いた。

 唇の動きだけでも、恋には何と言ったのか分かった。

「俺から逃げられると思うなよ」

 恋は再生画面を止め、拓斗の怒りに歪んだ顔を保存した。あの男は、簡単に諦めるつもりなどなかった。

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